1/700スケール 戦艦 扶桑 レイテ沖海戦時
ピットロードレジンキット









この模型が生んでくれた貴重なご縁

この1/700戦艦扶桑のギャラリーがアップロードされたのは、2005年の1月でしたが、
それより3年余り後となる、2008年2月に、このページをご覧になった古沢様という女性
から、このようなご連絡がありました。

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はじめまして。戦艦扶桑について調べていて、HIGH-GEARedさんのサイトの下記の記述
に出会いました。

<今回の扶桑の最終時のモデルは、30年前にはわずか12名しか確認でき
なかった生存者の一人でもあり、慰霊碑の建立にも力を尽くされた元乗
組員の方の息子様から依頼されたもので、完成後には現在も御存命中
の元乗組員の方に届けられました。>


2007年10月25日(スリガオ海峡戦記念日)にスリガオ市において、地元の方々の
ご尽力により、スリガオ海峡戦前後に戦死された方々が荼毘に付された地点(現北ス
リガオ高校敷地内)に記念碑が建てられました。

扶桑艦長であった阪匡身氏のご子息が、10数年前この場所を訪ねて慰霊されたことを
現地の人々は記憶していて、記念碑が建ったことをぜひお知らせしたいと願っています。

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そこでHIGH-GEARedは、この模型の製作を依頼された方と、古沢様との橋渡しをすること
となり、古沢様は扶桑の元乗組員とご子息様へ手紙を出されました。

その際、慰霊碑の建立について大変貴重なお話を聞かせていただきましたので、その経
緯について、ご本人様の承諾をえて、こちらに掲載させていただきます。


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「日本将兵火葬の地」記念碑は、昨年(2007年)10月25日、
フィリピン、ミンダナオ島スリガオ市において、地元の方々のご尽力により
建立されました。場所は、1944年当時日本軍戦死者のご遺体が荼毘に付された
地点、現・国立北スリガオ高校の敷地内です。

 碑建立の中心となったのは、地元スリガオの博物館長、フェルナンド・アルメダ氏と
、元筑波大学教授、レスリー・バウソン氏です。費用の大半は、両氏の
呼びかけに応えた日本のフィリピン研究者からの募金でまかなわれました。

 アルメダ氏は、地元スリガオで私費を投じて郷土の歴史を残すため博物館
「スリガオ・ヘリテージ・センター」を創立・運営されています。また
バウソン氏は、歴史学者で長年日本とフィリピンの友好に尽くしてこられました。
日本のフィリピン研究者の多くはバウソン氏のお世話になってきました。

 両氏は、十数年前頃、北スリガオ高校のその場所にお線香やお花を供えて
慰霊する日本人のグループがあることから、その場所が日本軍戦死者のご遺体が
荼毘に付された場所であることを知ったといいます。以来、追悼と平和祈念の碑を
その場所に建てたいと願ってきたそうです。 慰霊訪問された日本人の方々の
所属は、ほとんどわかっていませんが、アルメダ氏によると、その中に戦艦扶桑の
艦長であられた阪匡身氏のご子息ご一行があったそうです。

一昨年、私は偶然のきっかけで、アルメダ氏とバウソン氏と知り合い、碑建立の
会計など事務的なお手伝いをすることになりました。その後碑文作成や募金などを
経まして、昨年10月25日スリガオ海峡海戦記念日に無事落成した次第です。

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戦後60年を経て、われわれ日本人が戦争を過去のものとして忘れようとしている
今、スリガオ市の方々が、戦艦扶桑と多くの乗組員、そして艦長のご子息様を記憶
していただいているという事を知り、胸が熱くなりました。


戦争の歴史は、多くの専門書や資料などで知ることができますが、実際には当事者
のお話と食い違うことも多く、サイトを通じて実際に体験された方から直接お聞き
したお話を次の世代に伝えることも、ホームページの運営者として、ぜひやってい
きたいと考えています。


PIT-ROAD 1/700

戦艦扶桑は大正6年11月、呉海軍工廠にて完成されました。従来日本
の戦艦には国内に存在した国の名前がつけられていたのですが、この
扶桑は日本の別名が命名されました。

これは後の戦艦『大和』でも同じことが言え、当時のこの戦艦にかける日
本海軍の期待の大きさをしのぶことができます。完成時には、当時世界
最大最強を誇り、そして史上初めて基準排水量が30000トンを超えた軍
艦でもありました。
br  建造直後の扶桑は日本煙突を持つ艦容でしたが、これはすぐに一本に
まとめられ、艦橋も三脚式から椄楼式に改装されました。その際、第三砲
塔を前向きに装備したため、艦橋基部の後部がえぐれた独特の艦橋形
状となり、第三砲塔を後ろ向きに装備した姉妹艦山城と比較して、日本
戦艦としては外艦上の識別が最も明瞭な戦艦となりました。

その後も改装されましたが、連装砲塔を6基中心線上に配置した設計上
の都合から、ジュットランド海戦での戦訓で問題となった防御力不足の欠
点や速力の不足を補うことはできず、大戦中には旧式艦として扱われ、
練習戦艦として内地にありました。

しかし、戦況の悪化に伴い、ほとんど被害を受けなかった扶桑と姉妹艦
山城は昭和19年10月、第二艦隊第二戦隊第三夜戦部隊を編成し、捷
1号作戦に参加。扶桑は速力不足のため、大和、武蔵を中心として他の
艦とは離れ、西村中将指揮の下、別行動にてレイテ湾に向かいました。

その際、スリガオ海峡においてオルデンドルフ提督の率いるアメリカ戦艦
郡の集中砲火を受け、姉妹艦山城と共に壮絶な最期を遂げました。


今回でこのサイトに掲載した扶桑の作例は個別の紹介では3回目になり
ます。

一回目はピットロードハイモールドのレジンキットにて近代化改装直後の
姿を、そして2回目は同じく近代化改装後の姿をアオシマのインジェクシ
ョンキットで再現しました。

3回目の今回は一度目の作例とおなじピットロードのレジンキットをベース
としたものですが、今回は改装直後ではなく、スリガオ海峡に向かった
扶桑の最終時をモデル化したものです。

この扶桑の最期の戦いでは、アメリカ海軍旧式戦艦艦隊の一方的な攻
撃により轟沈し、乗組員1200人のほとんどが戦死し、発表された生存者は
わずかに86人という悲劇的なものでした。

今回の扶桑の最終時のモデルは、30年前にはわずか12名しか確認でき
なかった生存者の一人でもあり、慰霊碑の建立にも力を尽くされた元乗
組員の方の息子様から依頼されたもので、完成後には現在も御存命中
の元乗組員の方に届けられました。 

艦船模型を製作するうえで、このような名誉ある行いができたことは、
HIGH-GEARedにとって心からの誇りになりました。

製作に話をもどすと、今回ピットロードハイモールドレジンキットの扶桑の
製作は2回目ということで、年代は違えども比較的スムーズに行きました。

船体や艦橋や主砲塔などはポリウレタン製、トラスやマストの一部、副砲
身はホワイトメタルまたは別売りエッチングパーツ、そして主砲身は真鍮
製で艤装はインジェクションと、様々なマテリアルを組み合わせて製作
するものです。

これより少し前にWWSの片面取り艦船レジンキットを組んだばかりだった
ので、パーツ洗浄と下地処理、それとわずかな修正だけで済むピットロ
ード製の精度の高いレジンキットは比較的簡単に思えました。

しかし、レイテ沖海戦時の扶桑は機銃の多さが問題で、これを図面どおり
正確に配置していくのはなかなかの苦労でした。 特に単装機銃はキット
に付属しているインジェクションパーツだけでは数が足りなかったので、
ジャンクパーツから流用して増備しました。

エッチングパーツはピットロードから専用にリリースされているものを使用
し、手摺は他のパーツから流用しました。ピットロードのエッチングパーツ
は、初期型の扶桑キットが出回っていた頃は初期型の艦載機エレベータ
ーなどがパーツ化されていましたが、この時にリリースされていたものはキ
ットにあわせて後期型のパーツがメインにセットされていました。


↑レイテ沖海戦時の扶桑は航空戦を想定してとんでもない数の
機銃がとりつけられ、その数じつに100門にも上ります。写真でも
わかるように、主砲塔上の測距儀上にまで単装機銃が配され、さ
ながらハリネズミといった状態になっています。しかしこの機銃は
戦艦を相手に効果を発揮することはありませんでした。


↑扶桑といえば、やはり特徴的な艦橋が命です。ピットロードも
特にこの艦橋に再現に労力を費やしているようで、完成したとき
も迫力はなかなか見事なものです。組み立てには穴あけや真
鍮線の現物あわせの加工なども必要ですが、そうした作業も各層
に愛着を持って作業できるので楽しい作業と言えるのではないで
しょうか。


↑重巡洋艦三隈とのツーショット




**総括**

今回の製作は数少ない扶桑乗組員でかつ慰霊碑の建立などに貢献され
た方に模型をお届けできたということで、大変名誉あるものでした。

最終時の扶桑というのは全身に生えている機銃をみればわかるように、何
か当時の海軍の決意と必死さを感じるもので、甲板を塗りつぶされた死装
束の大和ような悲壮な感じではなく、独特の雰囲気があります。

ピットロードの扶桑に関しては前回もそうですが、今回もそのモールドの見
事さに感心しました。これは多くの艦船模型ファンが願ってやまないことだ
と思うのですが、これだけ見事な原型があるのですから、いつかは見事な
インジェクションキットを完成し、よりお求めやすく初心者からベテランまで
多くのユーザー喜ばれるカタチでリリースしてもらえるよう、期待したいです。





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